ロシア略史

キエフ大公国時代(9世紀末~13世紀)

9世紀末 ヴァリャーグが支配した東スラブ人居住地域(ルーシ)のキエフを中心にキエフ大公国を建国

10世紀末 キエフ大公国、東方正教会を国教として受容

12世紀以降キエフ大公国衰退に伴い、ルーシは多くの公国に分裂

「タタールのくびき」時代(1240年~1480年)

1240年頃 モンゴル軍がルーシ諸国を征服

モスクワ大公国時代(15世紀~17世紀初頭)

1472年 モスクワ大公イワン3世、東ローマ帝国の最後の皇帝の姪と結婚

(モスクワ大公国は、これにより東ローマ帝国の継承者としての性格を強める)

1480年 モスクワ大公国がモンゴル支配下から独立

1547年 イワン4世が皇帝に即位

※16世紀頃からモスクワ大公国の支配地域は「ルーシの国」という意味で「ロシア」と呼ばれるようになった。

1605年 ロシア・ポーランド戦争勃発

1612年 ロシア・ポーランド戦争終結(ポーランドを撃退、モスクワを解放)

ロマノフ王朝時代(1613年~1917年)

1613年 ロシア貴族ミハイル・ロマノフが帝位に就きロマノフ王朝が誕生

1721年 ピョートル1世が帝位に就き、ロシア帝国が成立

(ピョートル1世は、西欧を模倣した改革を実行し、18世紀初頭に首都をモスクワからサンクトペテルブルクに移転)

1812年 対ナポレオン祖国戦争勃発

(フランス帝国軍の侵略を阻止し、ロシアは軍事大国にして世界に台頭)

1861年 農奴解放令

(農奴制を廃止するも前近代的制度の改革が遅れ、国内の政治・経済の問題の矛盾が拡大)

1904年 日露戦争開戦、翌1905年ポーツマス講和

1914年 第一次世界大戦勃発

会主義革命とソビエト連邦時代(1917年~1991年)

1917年 ロシア革命(ロマノフ王朝が崩壊、レーニン政権誕生)

1918年 第一次世界大戦終結

1922年 ソビエト社会主義共和連邦建国

1939年 第二次世界大戦勃発

1945年 第二次世界大戦で対独勝利、対日参戦

1952年 サンフランシスコ講和条約(ソ連は調印せず)

1955年 ワルシャワ条約機構結成

1956年 フルシチョフ第一書記によるスターリン批判

1962年 キューバ危機

1969年 中ソ国境紛争勃発

1979年 アフガニスタン紛争勃発

1980年 モスクワオリンピック(西側諸国はボイコット)

1989年 ソ連軍、アフガニスタンより撤退

     冷戦終結宣言

1985年 ゴルバチョフ書記長就任

(ペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(公開性)のスローガンのもと政治社会体制を刷新)

(ソ連を構成する各共和国で独立の機運が高まる)

1991年 保守派クーデター、ソビエト連邦解体

ロシア連邦(1992年~)

(ロシア連邦は旧ソ連の対外債務、外交条件を全て引き継ぎ)

1993年 ロシア連邦憲法制定

(供給不足下での価格自由化は猛烈なインフレを招き、経済は大混乱に)

1994年 第一次チェチェン紛争勃発

1996年 エリツィン大統領再選

1999年 第二次チェチェン紛争勃発

2000年 プーチン大統領就任

2008年 メドベージェフ大統領就任

     南オセチア紛争勃発

2012年 プーチン大統領就任

2014年 ソチオリンピック開催

     クリミア併合

日露関係について

概要

1965年に調印された日ソ共同宣言によって、戦争状態に終止符が打たれ国交が回復して以降、日露関係は、内容を刷新させながら全体的に発展の途を歩んできた。日露両国は、民主主義的価値を同じくしていること、イデオロギー及び軍事的対立がないこと、国際社会に対する協調に関心があることなどの価値を共有し、日露両国の発展が相互の国益に叶うと認識しながらも、貿易経済関係をはじめとする日露協力のポテンシャルは十分ではない。また、二国間には平和条約が未だ締結されていないが、北方領土問題がその原因となっている。

日露関係史(第二次世界大戦終結以降)

1945年 第二次世界大戦終結

1951年 サンフランシスコ講和条約

     ※ソビエト連邦は条約に署名せず

1956年 日ソ共同宣言(国交回復)

1991年 ゴルバチョフ大統領訪日

     ソ連崩壊

     ※ロシア連邦がソ連の権益や対外条約を引き継ぎ

1992年 北方四島交流開始

1993年 エリツィン大統領訪日

                ウラジオストク、ハバロフスクに総領事館開設

     由貴丸船長、北方四島周辺海域においてロシア国境警備隊より銃撃され負傷

1994年 貴栄丸船員、北方四島周辺海域においてロシア国境警備隊より銃撃され負傷

     在新潟ロシア総領事館開設

     日本センター開設(ハバロフスク)

1995年 シベリア抑留死亡者慰霊碑竣工式典

                 第11幸政丸船員、宗谷海峡においてロシア国境警備隊より銃撃され負傷

1996年 第28昭久丸船長、第52多喜丸船長、北方四島周辺海域においてロシア国境警備隊により銃撃さ  

                れ負傷

                日露国交回復40周年記念集会・レセプション開催

1997年 橋本首相訪露(クラスノヤルスク)

エリツィンと首相橋本龍太郎は特に親密になり、相互訪問を行ってロシアの先進国首脳会議メンバー入

りを支持し、北方領土問題にも解決の道筋を示したかに見えたが、返還交渉はまとまらなかった)

1998年 ナハリン出張駐在官事務所開設 

     エリツィン大統領訪日

                 自衛隊とロシア軍による捜索・救難活動の共同訓練開始

                 小渕首相訪露(モスクワ) 

1999年 日露青年交流委員会設置協定締結(東京) 

     日露青年交流センター開設(東京)

     自由訪問開始

2000年 プーチン大統領就任

(プーチン大統領は対外強硬派であり、森、小泉両首相と会談しているが、北方領土問題を有利に解決したい双方の思惑のずれにより、問題解決には至らず、平和条約締結の道筋も見出せず)

     日露非公式首脳会談(サンクトペテルブルク)

                プーチン大統領公式訪日  

2001年 在ユジノサハリンスク総領事館開設

     森首相、北方領土視察

2002年 森元首相とプーチン大統領との会談(モスクワ) 

2003年 小泉首相公式訪露(モスクワ、ハバロフスク)

     小泉首相訪露(サンクト ペテルブルク) 

     森元首相とプーチン大統領との会談(モスクワ) 

    「日露行動計画」採択

2004年 小泉首相、北方領土視察 

2005年 小泉首相訪露(モスクワ) 

     森元首相とプーチン大統領との会談(サンクトペテルブルク)

     プーチン大統領の公式訪日

2006年 小泉総理訪露(サンクトペテルブルク)

     吉進丸船員、北方四島周辺海域においてロシア国境警備隊より銃撃され1名死亡

     日本からの対露輸出が前年比で65%増、ロシアからの対日輸出は13%増

(日本企業のロシア進出は、従来の石油・木材などの資源産業にとどまらず、トヨタ自動車や日産自動車がサンクトペテルブルクへ工場進出)

2007年 ロシアによる我が国の漁船拿捕に関し、国際海洋法裁判所が早期釈放等を命じる判決

    (「第88豊進丸事件」及び「第53富丸事件」)

     森元首相とプーチン大統領との会談(サンクトペテルブルク)

     ロシアの証券会社が日本に支店を開設

(これにより日本の資金がロシアの株式市場へ直接投資できるようになった。モスクワでは「日本ブーム」と呼べる状況が生まれ、村上春樹・三島由紀夫・吉本ばなななどの作家の作品がロシア語に翻訳された)

2008年 福田首相訪露

     メドベージェフ大統領就任

2009年 日露首脳会談(ユジノサハリンスク)麻生首相

(領土問題を「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」の下、我々の世代で帰属の問題の最終的な解決につながるよう作業を加速。四島の帰属が確定しない限り平和条約は締結しない方針に変更なし)

     プーチン首相訪日

2010年 鳩山元首相とメドベージェフ大統領との会談(ヤロスラヴリ)

     森元首相とプーチン首相との会談(モスクワ)

     メドヴェージェフ大統領、北方領土視察

2012年 プーチン大統領再任

2013年 森元首相とプーチン大統領との会談(モスクワ)

     安倍首相訪露

     日露「2+2」開催

2014年 安倍総理訪露(ソチ)

2016年 安倍首相訪露 、安倍総理の東方経済フォーラム出席(ソチ、ウラジオストク)

     プーチン大統領訪日

2017年 日露「2+2」開催

     安倍首相の訪露